インタビュー-アジア

【INTERVIEWS】爆風スランプ ドラマー・ファンキー末吉さんに中国ロック、その人生についてインタビューしてきた‼︎

参照:citydiver.net

 

爆風スランプのドラマー、そして中国ロックの黎明期を支えた人物、ファンキー末吉さん。

1990年という、激動の天安門事件の翌年に北京を訪れ、その後爆風スランプの解散後には中国にて移住、そして中国ロックの成長に多大な影響を与えた。

 

まだ日本人が中国で活動し始める前から中国という国を発信し、以前はNHKの中国語講座にもレギュラー出演。

また活動は中国だけでなく様々な国に渡り、2007年には北朝鮮にてロックバンドを生み出そうというプロジェクトにも参画されている。

ドラマー、音楽プロデューサー、執筆家など多方面で活躍される同氏に、当時はまだあまり情報も多くなかった国で活動をすることについての不安、なぜ中国が好きになったのか、そして日本の若者が内向きと言われていることなどについて伺ってみた。

以下敬称略

友人の針治療についていったのが、中国へ行くことになったきっかけ。

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参照:www.fujitv.co.jp

 

鈴木:1990年というと中国がどんな国なのか全くわからないことが多かった時代だと思います。そんな時代に、一人で中国に行くということについて不安などはなかったんですか?

 

ファンキー:正直、ロックをやるということについては怖かったね。でもその時には国交も正常化されていたし、ルート通りの旅行をする上では特に問題はなかったんだよ。でもルートを外れたらそこは暗黒大陸だから。笑 そういった意味でロックをやることに対しては不安もあったよね。でもその時に中国に来たってことが自分にとっては本当に良かったんだと思う。中国に行ったきっかけは、友達の針治療についてきただけだったんだけどね。笑

 

鈴木:でもその時には、それから二十数年も付き合ってゆくとは考えていなかったわけですよね?

 

ファンキー:そうだね、正直全く考えてなかったよ。笑 でもはいつも十年に一度大きな出来事があるのね。二十歳の時に東京に出てきて、三十歳で中国に出会った。四十歳で中国に移住をして、五十歳でまた日本に一度帰ってってね。

 

本当に中国という国に出会ったのは運命だったんだなと思う。東京で芸能界っていう場所に翻弄もされていたし、そこにしがみついて生きていくのか自分で道を切り開いていくのかっていう転機でもあったしね。

 

中国語を学ぶコツはたくさんの参考書を買うこと?

鈴木:ファンキーさんはNHKの中国語講座にも出演されていましたが、当時中国語を話せる日本人というのはとても少なかったんじゃないですか?

 

ファンキー:うん。当時は本当に中国語を話せる人が少なくてね。おかげですごく優越感を味わうこともできたよ。笑 そして言語の学習に対して私は思うところがあって、日本だと中学から英語を学ぶけど、間違えたら恥ずかしいって思ってしまう環境でしょ?だから高校まで勉強をしても話すことができない。でも中国語は違うのよ。中国人はがどれだけブロークンな中国語を話しても褒めてくれるの。

 

鈴木:そうなんですね!やはり外国人が中国語を話していることが嬉しいということなんですか?

 

ファンキー:そうなのよ。中国人は外国人が中国語を話すと嬉しいって思ってくれるの。英語圏の人たちは、みんなが英語を話せるものだと思っているけれど中国の人たちはそうではないからね。やっぱり中国語を話すってだけですごく喜んでくれるんだよ。だからこっちが勉強して話せば褒めてくれるし、こっちもいい気分になる。だからそうやってうまい具合に中国語が上手くなっていったんだよね。

 

鈴木:ファンキーさんは当時どうやって中国語を学んでいたんですか?周りに話せる人がいないとなると、ご自分で勉強するしかないですよね?

 

ファンキー:もうね、独学しかない。笑 色んな中国語の参考書を買ってきて、それを読んでいたね。でも、やはりは勉強が嫌いだから参考書を読んでいると眠くなるわけ。眠くなったら次の参考書に移ってまた最初から読む。まぁほとんど同じような内容だから、いくつかの参考書を読んでいってまた同じ参考書に戻ってきた時には、基本的な言葉や文法なんかはいくつかの参考書を読むことで反復されて、身についちゃうんだよ。これがの学習法だったかな。

そして、もちろん実践もね。

中国に住み始めてからは、ほとんど日本人とつるまなくなったし中国語しか話してなかったからね。正直、今も中国ではほとんど日本人とはいないかなぁ。中国では仕事相手も中国人だし、中国人相手に一人のドラマーとして仕事をしているからね。時々日本人ミュージシャンと共演する時に会うくらいかなぁ。

 

中国人から嫌なことも言われたこともある、でも自分を支えてくれる中国人も多い。

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鈴木:そうなんですね。先ほど中国に出会ったことは運命だと仰っていましたけど、こちらで暮らしている中で嫌な思いや大変な経験などをされたことはなかったんですか?

 

ファンキー:正直そういった経験はたくさんしているよ。は中国人の中で生活をしているから、反日の対象になることはほとんど無いんだけれど、一度中国のSNSのweiboでと何人か宛に

 

「日本人とベトナム人は中国から去れ!!」

 

なんてメッセージがきたこともあったしね。でもその事件はの友人界隈から一気に周りに広まって炎上してね。その時に、別の中国人からは

 

「ファンキーは中国ロックのために命をかけてきたのに、なんでそんなことを言われなきゃならないんだ!」

 

なんてことも言ってもらって炎上して、嫌なことではあったけれども同時に少し嬉しい出来事でもあったかな。

 

あとは中国人のだらしなさとか時間にルーズなところとか、嫌だなと思うポイントを上げたらきりがないよ。笑

 

この中国という国を訪れた時に、その人が中国を好きになるか嫌いになるかっていうのは、大概嫌なことがあったときに、そのことを笑いとばせるかそれとも文句を言うかの二つで別れるね。

 

鈴木:そうですね。確かに海外の違う文化に触れた時に、そこに順応できるかでその人がそこに合うかどうかがわかりますよね!ファンキーさんはもう中国がとても長いですが、他の国へ移ろうとかそういったことは考えたことはなかったんですか?

 

ファンキー:北朝鮮は思ったけどね。ロックバンドを生み出したりしたからね。でも年齢的に無理かなと思ってやめたのよ。やっぱり何かを0から作ろうとしたら十年、二十年くらいはかかるからね。あ、あとミャンマーも好き。もしあと十歳若かったらミャンマーに行ってたかもしれないなぁ。

 

鈴木:なぜミャンマーだったんですか?

 

ファンキー:ミャンマーの軍事政権が終わって、ミャンマーのロックに対して最初に北京に来た時と同じようなアツいものを感じたんだよね。だから中国の時と同じようにミャンマーロックの黎明期を支えてみたいとも感じたんだよね。でも、やっぱり一回の人生でそこまで出来ることは多くないから、今いる中国でまだできることをやろうって思ったのよ。

 

鈴木:中国ロックをここまで大きくして、音楽業界にとても貢献されているのに、まだ他の国にも目を向けていたなんてすごいバイタリティーですね!でも出来ることにも時間の限りがあるということ、今お話を聞いていてとてもためになります。

 

日本人の若者は和僑となれ!

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ライブ後にファンキーさんと打ち上げにて。

 

鈴木:最後の質問になりますが、ファンキーさんは誰よりも早く中国に移り、ずっと活動をされてきました。現在日本の若者が海外に行きたがらないと言われていますが、そのことに関して何かお考えはございますか?

 

ファンキー:歴史で考えた時に、日本は今まで日本でしかなかったでしょ?海外の国だと隣国と戦争で負けたりしたら領土を取られるし、国自体が変わる可能性だってある。それに自分からより良い土地を目指して動いていく人種や民族も多いしね。でも、日本人にはそれがない。今までずっと日本だったからこそ、日本という国のそのルールの中でしか生きる術を知らないよね。

 

正直、は日本にいたころ周りから変わっているって言われてた。自分自身でもなんか日本が合っていないなぁっていうのはわかってたんだけど、中国に来てみたらすごく自分に相性が良かったよ。

 

日本で暮らしていると、正直自分にその場所が合っているかいないかに関わらず、順応をさせられるよね、学校も会社も社会も。それが日本のルールだからね。

 

確かに自分の生活に疑問を多少抱えていても、日本にいれば多くの人は生活ができるしわざわざ飛び出す人は多くない。

 

でもが若者に伝えたいのは、海外に出てみるとその自分が抱えている疑問という部分に関して、解消できる国や場所があるかもしれないということ。そればかりは自分自身がそこに行ってみないとわからないからね。

 

中国人は華僑になっている人も多いけれど、日本人こそ僑になるべきだと思うよ。日本の若者に伝えたいのは、この華僑になった中国人のように、自分の場所を探して僑になることもできるんだということだね。

 

鈴木:若者こそ僑たれ、ですね。確かに日本で違和感を感じていても、それがどこなら解消できるかは行ってみないとわからないです。ファンキーさんの言葉、しっかりと伝えたいと思います。本日はありがとうございました!