鈴木太郎。
旅するフリーランサー、世界一周ブロガー。
1989年8月13日生まれ、26歳、静岡県出身。
明治大学国際日本学部卒。
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鈴木太郎の経歴
小さな頃から「海外で働く!」ということに憧れ、中学時代、全然英語なんかは得意じゃなかったのに、高校3年間のうち1年間を必ず海外留学するという、私立桐陽高校、留学進学コースへと進学。
高校2年生の時にカナダのエドモントンへと1年間の留学、そこでアメフトと出会う。
入学当初、クラス最下位レベルだった英語も3年間で少しずつ成長。センター試験でほぼ満点を取れるくらいまでに。
大学では準体育会のアメフト部に所属。
創部初の関東大会で優勝。その優勝メンバーに。
大学2年生時には、アメリカのフロリダ州にあるDisney World にて8ヶ月のインターンシップを経験。
ハリウッドスタジオというテーマパークでアトラクションのお兄さんとなる。
卒業後はサントリーホールディングスにて家庭用営業を担当。
埼玉県の酒量販店、スーパーマーケットへの提案型営業を実施。
3年勤めた後に同社を退職。
その後知人である青木優の誘いで、彼が代表を務める訪日外国人向け観光マガジン「MATCHA」に参加。2015年10月まで営業を担当。
同時期にはAirbnbのホストを兼務。
約3ヶ月で100名以上の外国人をホスト経験。
2015年11月より、予てからの夢であった世界一周に出発した。
218日間で25カ国を旅し、2016年6月に帰国。
旅のテーマは「海外で活躍する日本人をインタビューし発信する」というもの。
200人以上の日本人の方々にお会いし、多くの素晴らしいお話を聞かせてもらった。
帰国後はフリーランスとなり、ライターやWebデザインを主な仕事とする。
その傍ら世界一周での経験や学んだことを講演する活動もしている。
2016年9月よりパリへと移住した。
なぜ「海外で働く」ということに憧れをもったのか?
僕の父は建築士なのですが、僕が幼少の時期に父が住宅の建材をアメリカに買い付けに行く様子をよく見ていました。そして小学校1年生の時に訪れたアメリカ・ロサンゼルス。当時は外国ということがよくわかってはいませんでしたが、初めての海外がとても楽しかったということ、当時の体験が強烈なインパクトであったいうことは覚えています。
それから、自分も大人になったら海外で働くんだということを子供ながらに考え始め、その考えを持ったまま20年ほど経った結果、今でも海外で働くということに対する憧れを強く持っています。
子供の頃から現在まで、どのように過ごしてきたのか。
幼少時〜中学
静岡出身の勤勉な父と、関西出身の自由奔放な母の間に生まれる。
出生地は関西だけど、母は家で関西弁を話さないので、静岡弁しか話せません。
幼少時は習い事に明け暮れ、一時期は毎日違う習い事に通っていた時期も。
一番長く続けたものはピアノと書道。
でも現在は、楽器を演奏するより歌う方が好き。笑
今まで経験したスポーツは野球、テニス、陸上、器械体操、ミニバス、そしてアメフト。
子供の頃から体は小さかったけど、昔から足はそこそこ早かったです。
中学の頃は陸上部。一応県内でまぁまぁの成績を収めました。(ちなみにこの頃が今までで一番足が早かったかな。笑)
英語が出来なさすぎて恋も部活も辞めさせられた高校時代。
高校進学は、高校生活の3年間のうち1年間を、必ず海外留学するという、私立桐陽高校の留学進学コースへと進学。
このコースはかなり特殊なコースで、学年に1クラス(20名前後)しかなく、1日の半分は英語の授業があるという本当に留学のために特化されたコースでした。
ちなみに思春期の英語に興味が有る男女比率でいったら圧倒的に女子が上。
僕のクラスは男子4名、女子15名の合計19名といった、まさに漫画のような超ハーレム状態での3年間でした。(別にハーレムではありませんでしたが。笑 でもここで女性との接し方を強引に学ばさせられた気がします。笑)
そのコースに入学当初は「留学行ったらなんとかなるだろー」としか考えておらず、一発目の定期テストに準備を怠り見事に撃沈。
クラス19人中の18位を獲得するというアホっぷりを見せつけました。(ビリは一緒によくアホなことをしていた男子生徒。)
ちなみにこのビリ二人組は今までスポーツしかやってきていなかった体育会系バカで、高校でも何か部活に入りたいと担任に伝えたところ、団体スポーツには入れさせないとのこと。(留学に行く間に部活に迷惑をかけるため。)結局、個人スポーツの要素が強いテニス部へと所属していました。
でも所属できていたのは、実は入学からたった一ヶ月のみ。
定期テストの結果に担任が激怒し、その翌週にはテニス部は除名扱いに。笑
自分たちの意見など聞いてももらえず、勉強のみに強制シフトさせられたのでした。
また、僕には入学早々付き合っていた女の子がいました。
ちなみに彼女は同じクラス。
学校では授業が8限くらいまであったのと、彼女とは家が離れていたため、デートも出来ず。
それならばと週末に遊ぼうとするも、彼女からは「課題の量やばくない?それに部活しているのにテスト勉強もできてるの?」と言われ、空っぽな頭で「うん、大丈夫ー!」と答えていた僕。
結局1ヶ月で1、2回くらいしか遊ばなかったと思います。笑
ちなみにテストの結果では、僕は前述の通りですが彼女はクラス1位。(学年でも1位)
もうそこで雲泥の学力差を見せつけられると共に、自分の醜態を晒してしまい、彼女との恋は終わったのでした。笑
ただその後は、留学、受験と努力を重ねて成績も向上。
一応英語を得意科目とすることには成功しました。
本場の夢の国で働いた大学時代。
大学2年生の時にアメリカのDiseny Worldにて8ヶ月のインターンシップへと参加。
このインターンシップに参加した一番の理由は、「英語を強制的に話さなければいけない環境を作って、無理やり英語力を向上させたい。」というもの。
なぜもう一度留学を選ばなかったのかというと、留学は高校時代に経験をしていたため、自分の匙加減でどうとでも成果が変化してしまうと知っていたからです。
ではDisneyにて実際にどんな仕事をしたいたのかというと、アトラクションの係員としてお客さんの対応、マイクを持ってパフォーマンス、裏方でアトラクションの操作をしたり、ファストパスの発券をしたりと一通りのことをやっていました!
でも、この8ヶ月は想像以上に大変だったんです。
仕事は週5日。
アトラクションはパークのオープンからクローズまで運営しているので、繁忙期やイベントの時期なんかは朝の3時、4時まで働いていたことも。
そして残りの2日はというと、このインターンに参加している学生は全員受けなければいけないディズニーのホスピタリティーの授業と大学の一般授業。
ディズニーでのインターンシップという名目ですが、一応アメリカの大学のプログラムの一環として参加をしていたので、その大学の授業と単位も取る必要があったのです。
どうです?
休む暇なんてないでしょう?笑
それに英語がある程度できると言っても、まだまだネイティブに比べたら天と地の差。
でもお客様はアメリカ人がほとんどだから英語で話さなきゃいけない、でも通じなくて逆に怒られ、文句を言われるなんてことも。
しかも働く場所はもちろんみんなの夢の国なわけで、提供するサービスもピカイチでなければいけない。
僕が「アメリカのDisneyで働いていたことがあるよ。」と言うと、大体の人は「羨ましいー!」と言ってくれます。でもね、夢の国から逃げ出したくなることもあるんですよ!笑
ちなみにこのインターンが終わってから日本に帰国した後、ディズニーランドへ行くということに対して以前のようにワクワクできなくなってしまいました。笑
もう一生分ディズニーを満喫したのは間違いないですからね。
でも!!
おかげでさらに英語が向上しましたし、8ヶ月間アメリカ英語に染まったおかげで、アメリカ人と話していても「君、アメリカ人の発音みたいだね!」と言ってもらえるようにもなりました!
そしてここだけの話ですが、毎日Disneyで言っていたアトラクションのマイクパフォーマンスはまだ健在ですので、飲み会の時にでもふってみてください。
そこそこ面白いと思います。
大学入学と共に始めたトレーニング
大学は明治大学の国際日本学部へと進学。
入学後すぐに準体育会のアメフト部へと入部。
元々体は大きくないほうで(18歳の時、身長166cm、58キロ)、アメフトをやるにはあまりにも貧相な体でした。
料理を持っているのが私です。(チャラい笑)
ただ入部とともに、筋トレマニアの先輩方のご指導にて筋トレ、食トレが日課に。
さらにアメリカ留学時はアメフトができないながらもトレーニングに今まで以上に勤しみ、筋トレ中毒になるほどに。(2日以上ジムに行かない日があると、落ち着かないという症状が。笑)
結果、アメリカ生活を経て体は一回り以上大きくなり帰国。
僕としてはDisney留学のつもりで行ったのに、アメフト部員からは筋肉留学と言われていました。
大学四年間での体重推移は58キロ→76キロと大きく変化。
お腹は割れていましたが、顔はいつもパンパンでした。笑
現役引退後もトレーニングだけは止めておらず、(世界一周出発前まで)常に筋肉とプロテインに向き合っています。
ちなみにトレーニングが楽しすぎて、トレーニング方法、筋肉の構造とか栄養学も独学で勉強しました。学生時代はジムでトレーナーもやっていたので、痩せたい人、筋肉をつけたい人は是非ご相談ください!
社会人となりその後。
大学卒業後は、サントリーホールディングス株式会社に新卒にて入社。
埼玉県全域における提案営業を行っていました。
主な得意先はスーパーや酒量販店。
新商品の導入提案や店内のお酒の冷蔵庫レイアウト設定、得意先の問題提起とその解決案提示などが主な仕事。
ちなみに退社直前には、自社の看板商品であるプレミアムモルツを赤字ギリギリの全国最安値で売ったりしており、周りからは「激安王」なんて異名もつけられ、上司からはめちゃくちゃ絞られました。
2015年の3月にて同社を退職。
会社を辞めようと思ったのは、3年間で英語を使用する機会が一度もなかったこと、海外に行けるチャンスが感じられなかったことが一番の理由です。
僕が学生時代に学んできたものを全く発揮できないのは、とても悔しかったんです。
それでも、仕事のイロハ、営業の基本を学べたこと、素敵な人たちに出会えたことはとても感謝しています。
帰国して、彼らとまた酒を酌み交わすことを楽しみにしています。
退職後、半年間のニート生活で何をしていたか。
大学時代の友人である青木優から、彼の設立した訪日外国人向けWebマガジンのMATCHAについて手伝って欲しいと言われて、営業のお手伝いをしていました。
そして、実はこのMATCHAで金銭的な収入というものは全く発生していません。
全て実費でお手伝いしていましたし、完全成果報酬での取り決めだったため、自分の実力不足が原因でした。
ただスタートアップで働くことで、自分が関わる仕事の範囲の広大さ、そして自分がどういったことをスキルとして今後身につけていかなければいけないのかを知れたことは、本当に有意義な時間だったと感じています。
MATCHAでは社員やインターンの学生たちとよく交流させてもらっていましたし、このSuzuTarogのロゴなんかもデザイナーさんに作って頂いたものです。素敵な人たちに出会うことができました。
ただMATCHAで収入が発生していなかったため、どこで稼いでいたかというと、大部分はAirbnbのホスト、それにプラスして海外ブランドのアパレル商品などを個人的にネットショップを運営して売っていたりしていました。
Airbnbでは3ヶ月で40万強を稼ぎましたし、ネットショップも合わせると、新卒のサラリーマンくらいは稼げていたかと思います。
それにこの時は実家暮らしでしたので、金銭的な負担が少なく済み、この生活を10月末まで継続していました。
世界一周生活について
2015年の11月11日から2016年6月19日まで世界一周の旅に出ました。
218日間で25カ国を巡る旅です。
旅のテーマは「海外で活躍する日本人にインタビューをしそれを発信すること」。
東アジア・東南アジア・南米・ヨーロッパ・北米というルートで巡り、計200人以上の海外で活躍されている日本人の方たちにお会いしました。
僕がこのテーマを選んだ理由は、大きく分けて二つあります。
一つ目は実際に海外で働いている人の意見を聞くことで、自分が海外で働いてみたい仕事や場所を見つけたいと思ったため。
二つ目は日本にいる若者たちに、僕の発信を通して海外へと出ることの楽しさを伝えたいため。
世界を旅しながら多くの先人のお話を伺うことでたくさんの情報や考え方、生き方を知り、それらは本当に自分の糧となりました。
また世界一周をしなければブログも始めなかったと思うし、一人で仕事をしようということも思いついていなかったと思います。
世界一周は本当に僕にとっての転機となりました。
現在
日本へと帰国後は2ヶ月ほどフリーランスとして活動していましたが、自分のスキルアップのために千葉県の金谷にある「まるも」という場所で期間限定にて働いたり、世界一周での自身の経験や学んだことを、明治大学を始め、学習塾や企業主催の講演会でお話させていただきました。
そして2016年9月よりパリへと移住。
2017年の夏頃まで、世界一周中に出会った企業のお仕事を、フリーランスのお仕事の一環として、パリで手伝っていく予定です。
趣味
僕の趣味というと、皆さん筋トレを思い浮かべそうですが、実際のところは料理です。
学生時代から社会人まで7年間一人暮らしをしたこと、学生時代はほんとにお金がなくて外食を控えていたので、自然と料理の腕が上がりました。
得意料理は麻婆豆腐と鶏の甘辛煮です。
もちろんCook Do的なものは使わずに、一から作ります。
好きな女性のタイプ
今までの女性遍歴を振り返ると、自分の好みがわかってきたのでちょっと書きたいと思います。
・身長が高めの女性が好き。
・服装はシンプルだったりラフな人が良い。
・お酒は一緒に飲んで欲しい。
・サバサバ系が良い。
・出るとこ出てるほうが良い。
・一緒に運動ができたらなお良し。
とこんな感じ。
思春期に海外にいたので、その影響で海外女子のシンプルなスタイルなどが好みになったと思われます。